2022/08/09
8月6日(土)に当法人代表理事である川崎栄子が講師をつとめ、「ボトナム通り」リニューアルプロジェクト勉強会をオンラインで実施しました。
今回は韓国からの参加者もいらっしゃる中、北朝鮮への”帰国事業”が行われた経緯を改めて説明しました。また、二度と同じ過ちを繰り返さず、自由と人権の尊重のため、川崎代表が脱北後に行ってきた一連の活動と、その一つである「ボトナム通り」リニューアルプロジェクトについての説明が行われた後、最後に質疑応答の時間を設けました。
講演内容の一部を抜粋します。
ー解放後の在日コリアン
■朝鮮半島(韓半島)を日本が支配するようになり、朝鮮半島の人たちが色々な理由で日本に渡ってきた。
■終戦後、朝鮮半島は「解放」された。当時、200万人の在日コリアンが日本に住んでいた。朝鮮半島に戻っていった人と、行き遅れた人たちがいた。私の家族も幼かった私が病気になったということで残っているうちに、日韓を結ぶ船が切れて日本に残った。日本が好きで残るという人もいた。朝鮮半島に戻ってみたら分断状況で不安定だったので、日本に帰ってきたという人もいた。
■1950年くらいにはそのような人の出入りが落ち着いて、在日コリアンは60万人と言われた。潜りの人も入れると70万人とも言われた。
■当時は日本自体も生活が大変な時代だったため、社会の最下層に置かれた在日コリアンの生活は特に苦しかった。
ー朝鮮戦争と在日コリアン
■北朝鮮の首領となった金日成は1950年6月25日に一斉に韓国に攻め込み、3年間、血で血を洗う戦いになった。
■朝鮮半島が南北に分かれる中、日本でも北を支持する人たちと南を支持する人たちに分かれた。北を支持する「在日朝鮮人連盟」(のちの朝鮮総連)と南を支持する「在日本大韓民国民団」。
■朝鮮戦争当時、民団は直接軍人を送ったり、在日朝鮮人連盟は日本国内で米軍基地を襲撃するなどしながら対立した。日本ではようやく平和になったのに、と喜ばれず、風当たりは強かった。
■韓国側には米軍が、北朝鮮側は中国義勇軍とソ連が後押しをし、東西両勢力が激突した結果、朝鮮半島は焼け野原になってしまい、1953年に休戦。その状態が今も続いている。
ー朝鮮戦争休戦後の北朝鮮と「帰国事業」の開始
■それでも北朝鮮の方が韓国よりも状態が良かったのは、北朝鮮に対する社会主義国家の応援が沢山あったからだと言われている。また38度線以北は地下資源も豊富であった。
■北朝鮮は休戦後、復興をするにも若者がたくさん死んで、労働力が不足していたため、金日成は日本から在日コリアンを呼び寄せて労働力として使うことを考えた。
■金日成は1955年から朝鮮総連の議長に就任したハン・ドクスと相談し、在日コリアンを北朝鮮に連れて行く「帰国事業」が開始されることになった。
■朝鮮総連は北朝鮮を「地上の楽園」と宣伝した。税金がなく、病院も教育も無料、働きたいところで働くことができ、住宅もタダ同然、など。
■在日コリアンの多くが、日本で差別されながら苦しい生活を続けるより、北朝鮮へ行って素晴らしい生活をすれば良いと言われた。
■在日コリアンは98%以上が韓国の出身であり、北朝鮮出身者は日本ではなく中国へ渡る人が多かったため少なかったのだが、社会主義建設に参加すれば、金日成が朝鮮半島をすぐに統一するから、それから故郷に帰れると言われた。
■それから70年近い年月が経ち、韓国は素晴らしい国に発展を遂げた。一方で北朝鮮はどこまでも金日成を中心とする独裁政治が敷かれ、その権力を守るために、人を投獄・粛清した。そのような殺戮の歴史を繰り返してきた。
ー帰国事業と「ボトナム通り」
■1959年12月14日、第一次北送船が新潟港から出港。
■その船に乗る人達と新潟の日朝協会、帰国協力会、日教組など、北送事業を支持する人々が協力して、1959年11月7日に、新潟中央ふ頭に渡る道路に306本の柳の木を植えた。日朝親善と北送事業の成功を祝ってプレートを設置し、朝鮮総連の木の柱も立てられた。その通りを「ボトナム通り」と名付けたのである。
■現在、柳の木は80本まで減っている。新潟の人たちは「ボトナム通り」という名前は知っているものの、その由来までは知らない人がほとんどである。
■2019年12月13日と14日、私たちは新潟のホテルで北送60周年に際して、犠牲になった人々に対する慰霊行事を行った。そしてその際に廃れかけているボトナムどおりを目にした。
ー「ボトナム通り」リニューアルプロジェクトについて
■ボトナム通りリニューアルプロジェクトは、この通りをこのまま廃れさせ、忘れてしまうのではなく、新しく自由と人権の大切さを伝えるためのシンボルとしてリニューアルして歴史に残そうとするもの。どれほど悲惨なことがあったのかを、形として残さなければならないのではないか。
■このプロジェクトでは、柳の木を306本に植樹し直すだけでなく、資料館を立てる計画である。資料館の内部は2つに分け、半分は北送事業に関連する資料を、そしてもう半分は拉致被害に関する資料を展示したい。拉致の拠点も新潟であった。これは自由と人権の侵害がどのように行われたのか、二度とそのようなことが行われてはいけないということを示す資料館。
■さらに、新潟港から北朝鮮に連れて行かれた93340人の北送者全員の名前を刻んだ刻銘碑を建てたい。
■膨大な事業になるため、民間だけでなく韓国政府、日本政府の協力も必要。国連にもお願いするつもりである。新潟を自由と人権を象徴する都市として装いを新たにするものである。海外からの旅行者や修学旅行生も訪れる場所にしていきたい。
ー金正恩を相手取った裁判
■昨年(2021年)10月14日には、脱北者5名が金正恩を相手取って裁判を起こした。一人1億円ずつの賠償金をかけて行った。賠償金は取れなかったが、この裁判の意義は大きい。
■東京地裁はこの一連の北送事業の事件を前半と後半に分けて扱った。前半は日本で嘘の宣伝をして、騙して北送船に乗せたという部分。後半は北朝鮮に行った後の部分。前半についてはその罪を認めた上で、犯罪だけれども60年以上が経って、損害賠償金は取れないという結果。後半については日本の法律の管轄外であるから裁けないという結果だった。しかしその罪を認めたということで、内容としては勝った。今は控訴の準備段階にある。
■犠牲者は93340人だけではない。親戚縁者や、北送事業の結果として北で生まれた人たちまで考えると、犠牲者はどんどん増えている。
■こういう間違いを正すことを、法治国家である日本で、そして世界の面前でやっていこうと思っている。その一環がボトナム通りリニューアルプロジェクト。
ー質疑応答
Q.日本では拉致問題は重大な問題として取り組んでいるが、規模がもっと大きな北送事業についてはあまり取り組んでいない。理由はなにか?
A.日本政府がこの問題に深刻な立場で取り組んでくれていない。日本政府と北朝鮮政府の協定によって行われた事業の結果が良くなかった。拉致は北朝鮮の単独犯罪だが、北送問題というのは、国家間の協定によって行われたものなので、本格的な総括が必要。しかし必ず日本政府が取り上げてくれるように持っていきたい。
Q.北朝鮮の人権問題を指摘することは、頑なにすることなので、指摘しないほうが良いという話を聞くが、どう考えるか?
A.ちょっと偏った考えだと思う。そもそも北朝鮮がそんな相手なら、こんな悪いことはしない。私たちはどこまでも正しい立場で北朝鮮政府を、もっとコーナーに追い詰めるのが基本的な立場。自分たちが後ろに引いたらもっともっと踏み込んでくるだけ。拉致問題についても、裁判という方法を用いても良いのではないかと思っている。静かにしていることが解決につながるのではなく、積極的に訴えて、北朝鮮が滅亡する前に拉致被害者たちを取り戻す必要がある。滅亡するとなると、証拠隠滅のために彼らを殺害するのが北朝鮮という国家。
Q.帰還事業で行った人たちが心配。コロナや核実験が噂されているが、何が起きているのか?
A.私も12人の家族が北朝鮮に残っている。本当に心配をしている。北朝鮮と連絡が取れたのは2019年の11月が最後。一番下の娘が中朝国境まで行って、中国の携帯電話で連絡をくれたのが最後。それ以降、今まで一切、連絡が取れていない。お金や品物も少しずつ送っていたのだが、2020年の7月には、大連から北朝鮮にその品物を入れられなくて、戻ってきてしまった。その後、日本からはお金も送れない。コロナで犠牲になったのではないか、お金がなくて飢え死にしてはいないかなど、心配している。
Q.6月27日の記事でキムグクソン氏が日本人拉致被害者とその家族は平壌市内で生存していて、みんなが驚くような話があると報道された。どうお考えか?
A.その記事を読んでいないが、拉致被害者の方々と、北送船に乗っていった人たちは、基本的に扱いが違う。
拉致は犯罪だが、利用しようと思って連れて行った。一定の区域に住ませて一般人と交わらせない。生活に関しては十分な生活を保証している。子どもは大学にも行かせている。金日成総合大学で拉致被害者の子どもと出会ったという証言があった。自由はないが経済支援もあって暮らすことができている。
北送船に乗って行った人は、日本人妻は植民地時代の仕返しをされて殺されたりなどもあった。日本人=スパイというレッテルを貼られて、強制収容所に送られることも多かった。
Q.ボトナム通りに対して、オンラインセミナー参加者ができることは何でしょうか?
A.今のところ、機会がある度に、プロジェクトを進めるべきことを口コミで広げて欲しい。そしてこの事業には沢山のお金が必要なので、ほんの少しずつでも寄付をお願いしたい。いざボトナム通りに植樹をする時には一緒に来てやってくれればと思う。まだその準備段階でそこまで行っていない。