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アクション・フォー・コリア・ユナイテッド

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「脱北者の異なるバックグラウンドと共通の目的を学ぶ」オンラインフォーラムを開催しました

2021/01/12

 2020年12月29日に「脱北者の異なるバックグラウンドと共通の目的を学ぶ」というテーマでフォーラムを開催。30名弱が参加をしました(講師:川崎代表理事)
 元々は12月7日の開催予定でしたが、予定を変えて開催されました。
 下記に要点を抜粋します。

―脱北者が持つ異なるバックグラウンドとは?
■「脱北」について。「脱」という漢字が入る意味は、自由に国を出るのではない、ということ。いい言葉ではないが、それをやらざるをえなかったそれぞれの理由について話したい。
■1945年、植民地支配を受けていた朝鮮半島が第一次世界大戦の収束とともに分断。朝鮮半島の人たちの意思とは関係のない処置。共産陣営、自由主義陣営の接点として、38度戦が引かれた。その時から分断の苦しみを味わうことになる。
■今現在、韓国には1000万人の離散家族がいると言われる。それは、1950年6月から53年6月まで行われた朝鮮戦争によっても状況が強化された。
■帰国事業については、日本から船に乗って北朝鮮に行った人たちは自分が密かに北朝鮮から脱出しなければならなくなるとは思っていなかった。協定によって渡ったので、北朝鮮から自由に出れると思っていたが、今日までそうした状況になっていない。
■朝鮮半島の分断により、理念の違う2つの政治が実施された。お互いの国の中で社会制度に合わせることができなかった人たちは、越北(越南)行動を取る人たちが出てきた。
■今日、私たちが「脱北者」と呼んでいるのは、1990年代以降、北朝鮮を脱出した人たちのことを呼んでいる。

―脱北者の中での有名なエピソード
■キムジョングクさん(仮名)。帰国者として一人で北朝鮮へ行き、海洋専門学校(清津にあった)へ行った彼だが、清津港にあった日本の船に忍び込み、日本へ戻った。それが帰国者として日本に戻った第一号となった。
■川崎氏が北朝鮮にいた頃、後から来た帰国者からジョンググさんのことを知らされた。ジョンググさんは帰国者たちの中では英雄であり、心の灯火のような存在だった。
■ジョングクさんが脱北する前に、平壌へ行った際に、汽車の中で日本共産党の代表団に巡り合った。その中に寺尾五郎氏という党員がおり、彼が描いた「38度線の北」という本を見て、多くの在日コリアンが北朝鮮へ渡った。そのことを知っていたジョンググさんは怒りを抑えきれず殴りかかったが阻止された。しかし、非常な遺憾の意を伝えたという。

様々な脱北者の状況について語る川崎氏

―本格的な脱北が始まってから
■脱北者が増えた直接的な原因は、金日成が亡くなり、金正日が国民を完全に切り捨てたから。60年代に北朝鮮に渡った時から、次第に窮地に陥って行ったが、完全に経済的に落ち込んだのは、資本主義陣営のソウルオリンピックに対抗して開催した、1989年の「世界青年学生祭典」。当時の北朝鮮では開催不可能な状況だったが、金正日のメンツのために開催された。この祭典により今日の朝鮮総連の衰退が決定的となる。
■その後、平壌を除き、地方において金正日が配給を全廃。金日成死後、政治が国民を助けるのではなく、切り捨てた。多くの人が亡くなり、国境沿線にいた人たちが空腹に耐えられず川を越えたことが大量脱北へとつながった。

―空腹からの脱北と全く背景の違う脱北とは
■上記の脱北とは違い、高級位の幹部の脱北。例えば、北朝鮮の体制を支えている”主体思想”を作った黄 長燁の脱北。彼は自分が脱北すれば、後に北朝鮮に残る人がどうなるか知っているはずにもかかわらず脱北。その後、「9親等まで絶滅させよ」という金正日の命令により、数千人が粛清、強制収容所により処分された。
■その人間が一言の謝罪もなく、革命家として活動したことは非常に遺憾。また、それを韓国の脱北者社会が受け入れた。その結果として、現在の韓国の社会情勢がある。
■自らが罪を犯した者は、自分自身がまず謝罪し、そのことを精算した上で朝鮮半島の民主化に参加するべき。そうしてこそ、手に手を取り合って、朝鮮半島統一のために手を取り合える。

―質疑応答
■国境警備隊に捕まると強制収容所に入れられた一生働かされるのか。
→全員が強制収容所に行くわけではない。一般の刑務所に送られたり、労働鍛錬所にも送られる例もある。いずれの環境も過酷で、そこで死んだ人も多くいる。
そして、刑務所生活が終わるとまた脱北を図るなど、空腹に耐えられず何度も脱北を試みる人が多くいる。
■現在、中国にはどれくらいの脱北者がいると考えられるか。
→川崎氏が脱北した頃(2003年)に30万人はいた。中国に渡っても、人身売買、非常な低賃金労働などの危険がある。それは中国の国内では、脱北者に対して難民法を適応しないためだ。脱北したとしても公安に見つかれば無条件に捕まえて送り返す、というのが中国の法律になっている。世界の通常の国の人からは想像ができないような状況で脱北者は生きている。
■話の中で出てきた清津、という街はどういう街でしょうか?
―最初に船で近づいた印象は、「黒かった」。その理由は、日本統治時代に建設された製鉄所のためで、その煤煙によって都市全体が黒くなっている。道路も黒く、人々も見窄らしかった。日本にいた際、朝鮮学校ではこの清津のことを、北朝鮮で3番目くらいの国際貿易港として教えられたが、とてもそれほど栄えている様子ではなかった。ただ、この港は日本との貿易に使用されていた。

 と言った内容が議論されました。