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お知らせ - 一般社団法人アクション・フォー・コリア・ユナイテッド - Page 4

徐仁澤(ソ・インテク)韓国AKU常任代表からの年頭のメッセージを紹介します

2023/02/21

一つの民族として暮らすという同胞愛の表出運動が答えだAKU常任代表 徐仁澤(ソ・インテク)  去る8月15日、一山 KINTEXで開催された統一実践祝祭ハンマダンで、ヒョンジン・プレストン・ムン博士は「気が狂っていることとは、同じことを繰り返しながら異なる結果が出ることを期待すること」だと言ったアインシュタインの言葉を引用しました。これは、これまで繰り返される対北政策の失敗を皮肉ったものです。 現在の南北関係は核問題に遮られ、完全に閉塞状態にあります。1993年に第一次北朝鮮の核危機が発生してからの30年間、米朝関係と南北関係は核問題の従属変数となってしまいました。核問題が解決せず、南北関係が解決せず、南北関係の改善なしには平和体制の構築も統一も実現できないと見るのが、韓国社会の支配的な視点として固着化してしまいました。 韓国は、米国をはじめとする国際社会の協力を通じて北朝鮮の核問題解決のための試みをしてきました。それは対話と交渉、制裁と圧迫という二つの方法でした。金正恩政権に入って5回にわたり核実験を強行し、北朝鮮に対する強力な国連安保理制裁が施行され、さらに米国は北朝鮮と取引するすべての国と企業を制裁するという超強硬制裁カードまで動員して北朝鮮を絞めつけました。 しかし、米国の最大限の圧迫作戦も効果がありませんでした。先制攻撃カードをちらつかせていた頃の2018年、文在寅政府の仲裁により、シンガポール、板門店、ベトナムのハノイでトランプ米国大統領と金正恩委員長が向かい合って座る珍風景が相次いで行われました。成功していれば、これは世紀の交渉として歴史に記録されるべき事件でした。しかし、噂された宴会には食べるものがないという韓国の諺を証明するかのように、この会談は「ノーディール(No deal)」となり、もろくも決裂しました。 その後、北朝鮮は過去4年間、絶えず様々な種類の […]

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オンラインセミナー「脱北YouTuberキムが語る北朝鮮」を開催しました(全3回のうち3回目)

2023/02/03

前々回からキム・ヨセフさんのオンラインセミナーの内容を掲載しています。前回はキム・ヨセフさんが脱北に成功するまでの経緯を紹介しました。■北朝鮮では想像ができない「自由」一番いいことは、やはり自由があるということです。脱北して一番大きなものといえば、北朝鮮では想像すらできないことができることです。北朝鮮では自分の住んでいる地域から少し離れることでさえ政府の許可が必要ですし、音楽も、映画も、全て政府の許可なしでやってはいけないことが、韓国では何の制限もありません。行きたければ、お金さえあればどこの国にでも自由に行けます。それが一番脱北できて良かったことなんですね。それと、当然働いたら働いた分の給料が入ってきます。それが北朝鮮では、僕がずっと十代の頃に働いて、一日働いてその次の一日を生活できる分のお金をもらって、それが毎日ずっと続いていました。韓国で働いたら、使い方にもよりますが、真面目に頑張って生活すれば、十分な貯金もできるということが、すごく僕にとっては夢の国のような世界でした。ただ先ほどお話した通り、結構、同じ民族で同じ言語でも価値観も違うし、生きてきた文化や習慣も違います。脱北者の中でもいろんなトラブルが起きたり、人や社会にうまく溶け込めずに生活する人もいれば、ちゃんと一生懸命生活をして、数年経てば自分のお店をやったりする人もいます。人それぞれですが、やはりそれだけ資本主義と社会主義との違いや、民主主義と独裁の違いもあり、何か洗脳されて生きてきた人たちから見たら、なかなか理解できないところもあります。そういう葛藤の中で、今も三万人くらいの脱北者が韓国社会で生活しています。僕も韓国に来て、とりあえず2年くらいはすごく一生懸命に会社員として働き、給料をもらったら貯金しながら、それが一番最初に、韓国ですごく楽しいことだったんですね。子どもの頃はお金がなくて、腹いっぱい食べたくて […]

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オンラインセミナー「脱北YouTuberキムが語る北朝鮮」を開催しました(全3回のうち2回目)

2023/02/01

前回に引き続き、キム・ヨセフさんのオンラインセミナーの講演内容を掲載しています。前回は「苦難の行軍」の中、家族の死別を経験されたところまでを紹介しました。■必死に働き、必死に生きた10代その後、僕は祖父母の家に戻り、山に行って薪を集めて売ったり、あるいは山の方に行って小さな畑を作って農事をやるなり、薬草を掘って売るなり、もうとにかく何かできることは全てやるような、それが10代の僕でした。 秋になると収穫を終えた畑に行き、見落とした作物を拾って集めたり、川にいって砂から砂金を集めたり、もうそういう十代なので、小学校3年くらいまでは通いましたが、それ以降は学校に行けませんでした。北朝鮮は中学と高校が一緒になっていますが、高校も行くことができずに、ずっと働くという生活で10代を送っていました。 ■亡くなったと思っていた父が送ってきた脱北ブローカー18歳になった時、あるブローカーが僕のところに来て、父から頼まれてきたと言いました。そして「自分たちと一緒に行けば父にも会えるし、こんな生活はもうやらなくていいよ」という話をしました。 僕の10代は、毎日働かないといけないような毎日だったので、もう少し遊びたい時もあったし、子どもとしてやりたいことが全くできないような毎日だったので、当時、もし今のこの飽きた生活から離れて、何か別の生活ができるのであれば、一度そういうことをやってみたいというのもありました。また、その時まで、父もどこかで亡くなったものと僕は思っていました。それで父が本当に生きてるかどうかも確認したいというのがあって、その時に、ブローカーと一緒に行くことにしました。それが1回目の脱北だったのですが、その時は2003年の冬でした。ブローカーと一緒に国境の地域まで行くことに成功して、自分が住んでいた地域と離れたのも、初めてでした。子どもの頃に平壌に一回行ったことがありましたが、それ […]

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オンラインセミナー「脱北YouTuberキムが語る北朝鮮」を開催しました(全3回のうち1回目)

2023/01/30

AKU Japanでは2022年12月17日、脱北YouTuberとして有名なキム・ヨセフさんを講師としてお招きし、オンラインセミナーを開催しました。大変貴重な講演をいただきましたので、3回に分けて掲載いたします。■北朝鮮でも多かった5人の兄弟姉妹の中に、長男として生まれてはじめまして。キム・ヨセフと申します。僕は1985年に北朝鮮の咸鏡南道(ハンギョンナムド)というところで、7人家族に生まれました。5人兄弟と両親で7人家族だったのですが、北朝鮮でも5人というのはちょっと子どもが多い方でした。なぜそんなに多かったかというと、僕の上に姉が3人いまして、父が長男で、どうしても息子が欲しかったらしく、僕が4番目に生まれ、さらにやっぱり男一人だとちょっと寂しいだろうということで、もう一人、下に弟が一人生まれました。それで5人兄弟になったのですが、北朝鮮でも、だいたい子どもは2人か3 人くらいが多かったです。7人家族で、僕が覚えてる北朝鮮の子ども時代は、小学生の頃までは一応食料配給もあって、食料配給所というところに行けば、まあまあ食料をもらえました。だけどやっぱり子どもが5人もいて、いつも食料が 十分ではなかったのです。それで僕はいつも食料が足りなかったので、祖父母の家で暮らしていました。北朝鮮といえば社会主義で、世帯主である父が働いて、それで家族全員が食料をもらって生活するわけですが、家族が多いので、どうしても食料がいつも足りず、いつも親戚の家とかで少しずつ支援してもらいながら暮らしていました。■90年代半ば、多くの餓死者が出た「苦難の行軍」の中でそういう生活が、子どもの頃ずっと続いていたのですが、それが1990年代に入って、ちょうど半ばごろ、北朝鮮の「苦難の行軍」という非常に経済的に厳しい時期がありました。急にそうなったわけではないのですが、90年代に入ってから少しずつ食料配給の […]

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9月30日に「ワンコリア国際フォーラム~自由と人権:北朝鮮体制の改革のための国際協力~」が開催されました

2022/10/07

 2022年9月30日、ソウルで開催された「ワンコリア国際フォーラム」で、人権専門家と脱北者らが、北朝鮮政府による、北朝鮮住民の抑圧、飢餓、投獄、処刑といった残酷な現実について議論しました。 「自由と人権:北朝鮮の政治・金融システム改革のための国際協力」をテーマとした本フォーラムは、73年間継続している金一族の独裁体制を改革するための戦略を議論するため、北朝鮮自由週間の一環としてGPF、北朝鮮自由連合、Action for Korea United、One Korea Foundation、NGOモドゥモイジャ、北朝鮮宗教の自由のための国際連帯が共同主催しました。 2005年、日米韓のNGOと脱北者団体で構成される北朝鮮自由連合は、北朝鮮人に対する人権侵害について世間一般の認識を高めるため、北朝鮮自由週間を発足させました。 2004年、米国議会は脱北者や北朝鮮住民を支援するための「北朝鮮人権法」を可決させ、フォーラムでは複数の議員がビデオメッセージを通じて北朝鮮住民との連帯を表明しました。 フォーラムでは、北朝鮮自由連合代表のスザンヌ・ショルティ氏、民主主義防衛財団上級研究員のデビッド・マックスウェル米大佐、脱北者でありGPF研究員の李ヒョンスン氏、北朝鮮人権委員会の事務局長グレッグ・スカラトゥ氏、米国NBA選手で人権擁護団体のエネス・カンターフリーダム氏らが参加しました。 北朝鮮の人権侵害に関する国際的な専門家であるスーザン・ショルティ氏スーザン氏は、韓国の尹 錫悦(ユン・ソギョル)大統領が僅差で当選したのは、文在寅政権の親北政策下で多大な弾圧を受けた脱北者たちの行動によるものだと指摘しました。「脱北者たちは選挙を文字通り生死の境と見ていた 」と、文政権が北朝鮮に行く情報をすべて遮断する取引をしたことに言及しました。文氏が支持した北朝鮮への情報発信を禁止するビラ散布禁止法 […]

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