2021/07/08
世界的なコロナ禍により、北朝鮮国内の状況も大きく変容していることは疑いの余地がありませんし、最近は北朝鮮歴史上には無かった動きも起こっています。
北朝鮮の国内の状況を知るチャンネルは多くありますが、今回は、金正恩が処刑をしたとされている張成沢(チャン・ソンテク)氏の近くで仕事をし、2007年に脱北し、在日コリアン機関紙「統一日報」のweb版にて人気連載中の記事「ノースコリアンナイト(http://news.onekoreanews.net/detail.php?number=87705&thread=19)」著者の「たんぽぽ」氏をお招きし、講演会を行います。
金正恩氏は4月8日に「苦難の行軍」を行うと宣言しました。3代に渡っての「苦難の行軍」と今の北朝鮮の状況をどのように理解すればいいのか。北朝鮮社会はどのように変わってきているのか。この状況に関する国際制裁と人道支援そして、北朝鮮の人権や経済問題など多岐にわたる問題を最終的に解決するための方法は何かについてお話していただきます。
日時:2021年7月24日(土)19:00-
テーマ:金正恩氏による「苦難の行軍」宣言と北朝鮮国内の現状
申込は下記のリンクよりお願いいたします。
https://ws.formzu.net/dist/S69731027/
【講演者プロフィール】
北朝鮮の東海側の元山付近で1970年に生まれる。
日本から来た在日朝鮮人の母を持ち、その関連で北朝鮮階級社会の一番下の階級である「動揺階級」に属し4歳からいじめと差別の中で生きてきた。
夢も希望も諦めないといけない生活を強いられ、ようやく行けた大学と社会人としての生活はいつも死の恐怖の連続だった。
そのような残酷な状況下でもその社会を恨んだり、憎んだりしたことは一度もなかった。むしろ、その国の指示に人の倍々以上熱心に従った。そうすればいつかは自分を認めてくれるだろうと思って、あらゆることを必死でやった。
しかし10年、また10年経っても何も変わらなかった。貧しさより、体の痛みより、精神的な苦痛の方がより辛かった。
人生の一回目のターニングポイントは2003年、4歳の息子の栄養失調になった時だった。
病院は生きる見込みがないと息子を入院させてくれなかった。その時に本人は大きく変わった。必死で商売をして「成功」し、脱北するとは考えもしなかった。
二回目のターニングポイントは隣の家の息子(16歳)の麻薬中毒事件の時。
国中に麻薬を生産している人と麻薬を使う人がどんどん増えていく中で、中学生まで普通に麻薬を使っていた。子どもたちのために決心した脱北だった。
2007年12月に12歳と9歳の子どもを連れて中朝国境の川を渡った。隠れていた中国では北朝鮮保衛部に追いかけられて、捕まえられる一歩手前まで行った。
日本に来て、子ども二人と仕事をしながら必死に勉強した。夜間高校から始めて、法政大学(通信)で法律を学んだ。今は北朝鮮人権問題と「北送事業・帰還事業・帰国事業」の人権救済を国際社会に訴えつつ、法的解決活動などをしている。
一度受けた人権侵害は、それが行われた場所を離れても無くならない。その被害の数々の影響は今も私を苦しめ続けている。これが人権問題の本質で活動の意義である。